一宮市三岸節子記念美術館

ICHINOMIYA CITY MEMORIAL ART MUSEUM of SETSUKO MIGISHI

コレクション展(常設展)

アトリエの風景

生涯でいくつものアトリエを構えた三岸節子。アトリエを写した写真からは、節子が作品に臨む姿がうかがえます。ここでは、節子が作品を制作したアトリエと、そこで描かれた作品についてご紹介します。

会期 2018年4月17日(火) - 6月24日(日)
会場 1階 常設展示室
開催時間 午前9時から午後5時まで(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日(祝祭日・振替休日の場合、その翌日) / 祝日の翌日(土曜・日曜日の場合、開館)
観覧料 一般 320円 / 高大生 210円 / 小中生 110円 ※20名以上の団体は2割引

1.節子と好太郎がともに暮らした家

節子は画家、三岸好太郎と1924年に結婚した後、夫婦として暮らす家でともに作品を制作しました。結婚当時は東京都豊島区巣鴨の染井墓地横の下宿屋の2階に住み、ほどなくして高田馬場の借家を借りて生活します。このころ描かれた作品には、八角形のテーブルなど好太郎の趣味で集めたアンティークの家具が描かれています。1925年、節子が画家として華々しいデビューを飾った《自画像》(No.1)も高田馬場で描かれました。
関連作品:《自画像》(No.1)、《室内》(No.4)、三岸好太郎《蝶》(No.21)、三岸好太郎《貝》(No.22)

2.好太郎設計のアトリエ

東京都中野区鷺宮に1934年に建設されたのが好太郎設計のアトリエです。好太郎は、友人でありドイツのバウハウスで学んだ建築家、山脇巌に自身が思い描く理想のアトリエを依頼しました。白く真四角な形で、大きな窓ガラス、屋内の螺旋階段、石畳の庭などが併せて設計されています。好太郎は完成を見る前に亡くなりましたが、アトリエは節子の努力によってそのまま建てられました。後に、節子が大磯のアトリエに移るまでここで制作を行っています。
関連作品:《月夜の縞馬》(No.2)、《室内風景》(No.3)、《室内》(No.4)、《アンダーソンの壺と小鳥》(No.5)

3.軽井沢の山荘

1954年の渡欧後、絵を描くことだけに集中したいという思いから、節子が独り半ば引きこもるようにして作品を制作したのが、長野県軽井沢の山荘でした。《飛ぶ鳥(火の山にて)》(No.10)など、激しい筆致のマチエールが見られる「飛ぶ鳥シリーズ」が制作されました。このとき、節子は同じく軽井沢に避暑で訪れていた佐多稲子、芝木好子、壺井栄、大原富枝ら女流作家と出会い、彼女たちの文学作品の表紙絵や挿絵を手がけるようになります。
関連作品:《飛ぶ鳥(火の山にて)》(No.10)

4.異国の地に構えたアトリエ

節子は1954年からの1年間と、1968年からのほぼ20年間、2度にわたってヨーロッパに滞在します。この間、制作を行ったのが、南フランス、カーニュの貸別荘と、ブルゴーニュ地方の小村ヴェロンのアトリエです。とくにヴェロンのアトリエは、1974年にパリの画廊で開催された個展の大成功をきっかけに、節子が予定していた帰国を取り止め、農家を買い取って改築したものです。ほかに、パリのアパートで、窓から見える風景を作品にしたり、スペインのアンダルシアでも別荘を借り、白い壁の街並みを描いています。
関連作品:《スペインの白い町》(No.12)、《霧》(No.13)、《イル・サンルイの秋》(No.15)、《ブルゴーニュにて》(No.16)、《花(ヴェロンにて)》(No.17)

5.大磯のアトリエ

1964年に軽井沢の山荘から移った地が神奈川県大磯町です。1968年には、太陽と海、光と風の鮮やかな、ヨーロッパを思わせる景色が広がるこの地にアトリエを建設し、色彩豊かな「太陽シリーズ」を制作しました。フランスからの帰国後も大磯に戻り、晩年までここで制作を行います。また、このアトリエの庭に咲いた桜をモチーフに、最晩年の大作《さいたさいたさくらがさいた》が描かれました。当館土蔵展示室にはこのアトリエの様子が再現されています。
関連作品:《作品Ⅱ》(No.18)